2014年6月27日金曜日

歴史学はどうあるべきか

こんにちは、編集部のDです。おもに歴史本や鉄道本を担当しています。また、今回は弊社内のブックフェア実行委員会の委員長を務めています。

本ブログでは社員の「こだわりの一冊」をインタビュー形式でまとめていますが、インタビューを受けて要領よく答えるのは苦手なので、自分でまとめました。

結果、自分でもおそれていたとおり、長くなってしまいました。ブログで読むにはしんどいスタイルですが、根気のある方はお付き合いくだされば幸いです。


http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=20288

『私と西洋史研究――歴史家の役割』
川北稔 著/玉木俊明 聞き手
定価(本体2,500円+税) 四六判上製・272頁 2010年4月刊行

〈内容紹介〉
西洋史研究の碩学として知られる著者の個人研究自伝。計量経済史および生活史(社会史)の開拓、世界システム論の紹介・考察など数々の画期的業績を築きあげた著者の研究スタンスや思考を詳説するとともに、学界研究動向の推移や位置づけ、歴史研究の意義とあり方、歴史家の役割など、歴史を学ぶうえで必須の観点を対談形式で平易に説き明かす。研究の背景や意味を解説したコラム、詳細な脚注入り。

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●本書を選んだ理由

創元社の歴史の本というと、ビジュアルもの、翻訳もののイメージがあると思われがちですが、日本人研究者による書き下ろしの専門書ないし啓蒙書もあることを知っていただきたいと思い、その代表として本書を選びました。

あとでも申し上げるつもりですが、一昨年から刊行している「創元世界史ライブラリー」という叢書は、本書の編集を契機として生まれました。

また、著者の川北稔先生は学生時代にイギリス史を勉強していた私にとって雲の上の存在であったこと、また私事で恐縮ですが、本書編集中に父が亡くなったこともあって、装丁を見るたびにいろいろな思い出がよぎる一冊でもあります。


●川北史学のエッセンス

本書では川北先生の研究者としての歩みを辿りますが、その歩みは戦後日本の西洋史の歩みとも重なります。少し専門的な話になりますが、まだ農村史、土地制度史学が盛んだった時代、川北先生はまず、ほとんど独力で計量経済史の道を切り拓かれました。

本書あとがきで玉木先生が触れられているように、本場イギリスを越えるような業績を1960年代、20代なかばで出されたのです。驚くべき話ですね。

これだけでも瞠目すべきことですが、続いて生活史、社会史を開拓され、その成果は1970年代に河出書房から出た「生活の世界歴史」として結実しました。これは大変面白いシリーズで、私も学生時代にその文庫本を何冊も読みました。

このシリーズや、その前に出た『洒落者たちのイギリス史』は専門家だけを対象とした本ではなく、イギリス史や世界史に関心のある一般読者を獲得したといいます。川北先生はここでもいち早く、「リーダブルな書物による研究成果の報告」という新しい手法をとられたのでした。

さらに80年代になると、ウォーラーステインの世界システム論をいち早く日本に紹介され、日本における世界システム論の第一人者として、西洋史の枠を超えて大きな影響を及ぼしました。一国史にとどまらない、他の国・地域との関係を重視する研究スタイルを提唱されたわけで、今日の「帝国研究」の礎を築いたといっても過言ではないと思います。

とにかくその業績は圧倒的で、すべてを一人でやったとは信じられないくらいです。

そうした質・量ともに圧倒的な業績はどのようにして生み出されたのか、画期的な視点はいかにして得られたのか、研究者としていつも何を心がけていたのか、歴史学はどうあるべきか……本書では「川北史学」のエッセンスが余すところなく伝えられています。これから西洋史を学ぼうという人にとって必読だと思います。

それから本書の大部分は、玉木俊明先生(京都産業大学教授)との対談を加筆修正してまとめられていますが、川北先生による書き下ろしのコラムが3本あります。

これは当初予定にはなく、私が無理を言って書いていただいたのですが、どのコラムも非常に刺激的で、読み応え十分です。あまりに刺激的で、どの部分がそうなのかは言えませんが、まずはここを読んでいただいてもいいくらいです。


●昔の研究風景

本書にはまた、昔の研究風景がよく出てきます。インターネットが普及するよりはるか前の時代、外国の文献や情報を手に入れるのも一苦労で、コピー機もなく、貴重な文献を手書きで写していたそうです。研究者にしても、いまではちょっと考えられないくらい個性豊かな教授たちがたくさんいて、独特の世界がありました。

いまとはまったく異なる環境下でどのように研究していたのか。西洋史研究にかぎらず、興味深いエピソードがたくさんあります。昔のほうが良かったと言うつもりはありませんが、便利になった一方で失われたものもあるような気がします。

「そんな専門的な話はわからない、昔のこともわからない」という人もいるでしょうが、そうならないように、本書にはたくさんの脚注を付けました。戦後西洋史に大きな影響を与えてきた錚々たる面々や時代背景がフォローされており、この脚注だけを眺めていても面白いと思います。

刊行後、面識のある先生から「よく調べたね。私たちにとっては懐かしく、いまの学生にとっては親切だね」と言われました。ほとんどは玉木先生が作成してくださったのですがね。


●装丁のこと

本書の編集作業では、後世に伝えるべき本として、あれやこれやと中身にこだわりましたが、見た目にもこだわりました。川北先生が学生時代に使われていた研究ノートをお借りして、それをそのまま表紙にし、その上にやや表紙が透けて見えるカバー(ジャケット)を巻くことにしました。

当初はノート表紙を前面に出す予定でしたが、川北先生は「きれいなものじゃないし、ちょっと品がないんじゃ……」と難色を示されたので、表紙がかろうじて透ける特殊な紙を用いました。結果的にとても品のある仕上がりになったと思います。

大扉(「はじめに」の前にある書名のあるページ)にもこだわっていて、フールスカップという特殊な紙を用いました。シャーロック・ホームズ・シリーズを読んだことのある人はご存じだと思いますが、昔、余分なインクを吸い取るのに使われていた紙で、用紙全体に漉き目が走っていて、用紙の場所によってはフールスカップ(道化師帽)の漉かしが出てきます。

つまり、道化師帽の漉かしがある本とそうでない本があるわけです。また、フールスカップはイギリスにルーツをもつ紙ないし紙の規格ですから、イギリス史を研究されてきた川北先生にはぴったりです。

以上は装丁家の濱崎氏(今年、装幀コンクールで文部科学大臣賞を受賞)のアイデアで、本書の位置づけや私の思いの強さを汲み取ってくれたのだと思います。


●誰かが面白いヨーロッパ史を書かなければならない

本書のなかでは、いまの西洋史研究への懸念が何度も吐露されます。西洋史研究は時代が進むにつれて細分化され、精緻になってきました。いまや大学院生が在外研究をすることは珍しくなく、各国の文書館に出入りして一次資料をベースにした研究が当たり前になっています。

こうして研究の質が上がることは素晴らしいことですが、一方で歴史好きの一般の人たち、非専門家にとっては親しみにくいものとなっているきらいもあります。西洋史研究者でさえ、専門を異にすると評価に困り、著者と一部の人たちにしかその内容を理解できないような状況も生じています。

だから、川北先生は言います。「誰かが非常に面白いヨーロッパを書かなければならない」。そうしないと「日本の西洋史研究者は、国際的にも、あるいは国内的にも生き延びていけないのではないか」。

このくだりを横で聞いた時、私は衝撃を受けました。そして、その後何度も自問自答しました。専門家でないけれど、歴史に関心のある、知的好奇心が旺盛な人たちの期待に応えられているのだろうか。編集者として本当にそういう本を作ろうとしているだろうか。自分が専門に関係なく、歴史の本を楽しんでいた頃を思い出しました。

そして冒頭でふれたように、このことを契機として「創元世界史ライブラリー」という新しい叢書を作りました。刊行されたのはまだ3点ですが、各巻の最終ページ広告には次のように書いてあります。

「世界を知る、日本を知る、人間を知る――ベーシックな研究テーマからこれまで取り上げられなかったテーマまで、専門研究の枠組みや研究手法、ジャンルの垣根を越えて、歴史学の最前線、面白さを平易な言葉とビジュアルで伝える」

文言は私が書いたもので、川北先生がこのようにおっしゃったわけではありませんが、本書を編集していなければ、このシリーズは生まれなかったかもしれません。そういう意味でも思い出深い一冊であり、これから西洋史を勉強しようという方にぜひとも読んでいただきたい一冊です。

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ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。どうも思いが先走って、簡潔に伝えることができませんでした。ご容赦願います。

本書や本書のおかげで生まれたライブラリーなどが一人でも多くの方に読まれ、そのなかから歴史研究を志す方が出てくることを祈りつつ、編集者として精進をかさねたいと思います。


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